バイリンガルなのに英語を忘れた認知症80代マダム

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施設のこと

20代でアメリカ人に嫁いだ義母の友人がいます。何度かお目にかかったけど見た目もとてもとても素敵でチャーミングなマダム。日本人なので母国語は日本語。
アメリカ人とご主人と結婚し、その後の生活は英語onlyでお子さんたちとの会話も英語のみだそうです。
最近は両親両方の母国語を話せるようにと2ヶ国語で生活をし、バイリンガルに育てるようにしている家庭も多いとおもうのですが、戦争の影響が残る時代のことなので、いろいろ大変だったと察しています。
恐らく時代が時代だっただけに、なかなかアメリカ本土で英語以外の言葉、ましてや敗戦国の日本語を話すというのは難しかったような気がします。gogo家の親戚の中にも戦後アメリカ人と結婚してカルフォルニア州に嫁いだ方がいました。今生きていれば80代。その方も子供たちには日本語も話せるようになってほしいという願いは叶いませんでした。

義母の友人は80代に入って東京にお里帰りする機会もなくなっているようで、ここ数年以上はメールで時々連絡を取り合っていたようです。ここ何年かでそれも次第に途絶え気味になってきて、周りで心配してたそうです。そんな中、別の友人ルートから連絡がきたそうで・・・
義母の友人はここ数年で物忘れが始まって、アルツハイマー型認知症だと診断されたことがわかったそうです。特に住居が変わったわけでもなく、ご自宅で生活されているといういうことだそうです。
普段の家事などもこなし、生活は一見かわりのない様子だそうですが、一つだけ変わってしまったことがあったと言います。
それは言葉でした。結婚後50年余り日常生活では普通に話していた英語を徐々に忘れてしまい、バイリンガルだったのに日本語しか話せなくなってしまったそうなのです。
現在はご自宅近くにいるバイリンガルの日本人の友人の方が通訳してご主人やお子さんとの会話のサポートをしているということでした。全く全部忘れたわけではないので単語とジェスチャーでのコミュニケーションはできているそうですが、会話がスムーズではないのでそれなりのストレスを感じているのではないでしょうか。家族と普通に話せないのはかなり辛いことだと想像します。

認知症は本当にデリケートな病気だと思います。同じアルツハイマー型認知症でも症状は十人十色だと思いますし、進行の仕方もゆっくりだったり、どんどん進んでいったりと違いがあると思います。言葉に関しても義母の友人のように母国語以外忘れてしまう人もいれば、そうじゃない人もいるそうなので・・・
ひとくくりで皆が皆同じようにケアすればいいものでもないし、知れば知るほど難しいパズルを完成させていくような感覚になります。
言葉は一番忘れたくない生きていく上でのツールだと思います。ちょっと切なくなる義母の友人のはなしでした。

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