親の介護のはじまり

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親介護のきほん

若い頃は親の介護のはじまりを考えたこともありませんでした。自分の親は大丈夫という不確かな自信があったような気がします。だんだん時が経つにつれ自分には縁がないと思い込んでいた親介護が具体的な形となってきます。まわりを見れば自分の親だけでなく親しい友人のご両親も似たような状況になり、親介護の話などはしたこともないにいつの日にか必ずその話をするようになってきていました。
親介護のはじまりはなにかのきっかけがあります。親のけがや病気、物忘れが進んできたり、家族構成が変わったときとか・・・

gogo家の親介護のはじまりというかきっかけは母の大腿骨骨折での入院でした。それによって父親のサポートをすることになったことでした。
当時は父は脳梗塞の後遺症で僅かに下半身が不自由だった為、母がちょっとしたことをサポートしていました。サポートといっても普通に主婦がやる家事の延長で頼まれたものを買ってくるとか、ちょっ届くのに時間のかかりそうな所にあるものを取ってあげるとか。身体介助も必要ない程度。
父は元々箸より重いものは持たないといった感じだったし、例えば高いところの電球の交換も母が脚立に上がってしていたし、下半身が自由な頃とさほどすることは変わっていない様子。
ただ、一人でスーパーにも行ったこともないし、出前の電話はできるけど毎日の食事や洗濯などはする気もないし、今更できないだろうというので母の希望もあり母が退院して落ち着くまでは私が実家に長期帰省して父のサポートをすればいいということで話がまとまりました。振り返ってみればこれがgogo家の親介護のスタートだったと思います。

この母の骨折がきっかけで親の老後や親の介護のことを考えるようになりました。それまでは盆暮れお正月、GWなどの1シーズン1回ほどの帰省だったけど旦那さんの出張の度に帰省するようになって帰省の回数は増えていきました。これってただの帰省ではなく親の様子を見に行くよう見守りするような軽めの遠距離介護でしょうか。
帰省の回数が今までより多くなってきて、いままでより両親の生活の様子がわかってくると、帰省から戻る時はいつも心配な気持ちで帰ったものです。
とそんな頃に母が2回目の骨折。骨折は家の中が圧倒的に多いとは聞いていましたが、年末の慌ただしい時期の大掃除の最中に起こりました。天井と同じ高さにあるカーテンレールからレースのカーテンを取り外そうとして脚立に上がっての作業中に脚立から落ちてしまい・・・その当時は丁度自分の家の引っ越しと重なり、慌ただしくしていた最中だったので、実家への電話もいつもよりしていなかったし・・・ちょっとこれは後悔していることなんです。いつも1日置きに電話していたのにその当時は余裕がなく「今週電話していないから今日架けよう」と思っていたその日にそんなことが起きました。よく引っ越しの時は何かが起きるという話は聞いたことがあるのですが、まさか自分自身にも起きるとは・・・
母はお正月に親戚みんなで実家に集まっての宴会もあるので、カーテンもきれいにしてお正月に備えたかったのでしょう。皆のためにやろうとしていたことでのアクシデントだったのでなんとも言いようがない悔しさと申し訳ない気持ちは今でも忘れられません。

この時は以前骨折して人工骨頭になったところをまたの2回目の骨折ということだったので、以前より長い金属を装着する必要がありました。術後のリハビリには多少時間はかかりましたが、予定通り3週間ほどで退院。
その間は以前と同様に父のサポートでまたまた長期帰省をしていました。私にとっては2回目の長期帰省は前回のときより長く、2ヶ月ぐらい続きました。

親の介護はずっと同じ状況が続かない。親も年を取るし変化を感じるようになる。
親の介護のはじまりはいろいろな事情があるんだろうけど、一つわかったのは覚悟が必要だということ。
親の介護のはじまりは親の介護に関わっていくという覚悟がを決めるときでもある。

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