親介護がいつ始まるか、どんな始まり方かは全く予測がつかないこと。
でも、誰しもがいつかは経験することと思っているのかもしれない。
親介護をざっくり考える
将来の親の介護はできるだけ自分が面倒をみたいと思っている人は多いと思います。
私もそうでした。親の老後を想像して自分なりに未来図を描いていました。
ベースにあるのは実家に住んでいる両親が早めに自分の住んでいる都内近郊に引っ越してくること。それが最低の条件として考えていました。
両親が60代前半で退職してたっぷりある時間を趣味に費やしてゴルフ三昧だった頃は、千葉あたりに引っ越して雪のない1年中ゴルフができるところで暮らすのもいいと真剣に話していました。
確かに実家は売却してコンパクトな終の棲家を購入しての移住は現実的にも可能な考えだったし、タイミングをみて具体的に進めてみようと本気で思っていました。
今思えばあの当たりがいい時期だったのではないかと振り返ったりしてしまいます。
親介護の実際はその時にならないと、なかなかはっきりとした状況がわかるものではありません。
介護予報みたいなものがあって、だいだいこのあたりで必要になりますってことが目安としてわかっていれば計画的にできるとですが、そんなそんなことは不可能です。
もしかしたら明日かもしれないし、1年後かもしれない。いや、10年後かもしれないし、まったく親介護とは縁のない場合だってあるかもしれません。
親の老後は自分の将来のことでもあると思います。ざっくりでもいいので親介護が想像できないうちから考え始めるといいのかもしれません。
親と自分の将来
親がバリバリ働いていた頃は、自分は学生だったので自分の将来の仕事や夢をいろいろ具体的に考えていました。親もそれに協力してくれたし、子供自身の将来を楽しみにしていたと思います。
そして社会人になり、仕事が楽しかったり、辛かったりといろいろな経験をし、気がつけば親の年齢にはたと気づく・・・親が50代になるとそろそろ定年のことが話題になって、あっという間に定年を迎えたような気がします。
今は自分自身がその年齢に近くなってきたので、あの時、あの頃の親の心情や様子を考える機会も増えてきました。
まだまだ実家の両親は元気で見た目も他の同世代よりも若く見えるし、まったく老後とか介護とかgogo家には関係ないことと思っていました。
まだまだ自分のことで精一杯。しかもその頃は親に甘えていた部分も多かったと思います。
30代になってひょっとしたらお一人様で生きていくのかもしれないとも考えていたし、早く回りから認められて自立して頑張りたい思いで仕事をしていました。
丁度その頃父がアクシデントで頭にけがを負い、脳出血を起こしてしまいました。本当にまさかまさかの事だったので、目の前が真っ暗になり、父の事、母の事、そして自分の将来がぱっとすべてがひっくり帰るような衝撃で・・・それは初めてのショッキングな出来事でした。
幸い父は麻痺も残らず、少し下半身が動かし辛さはあるものの、時間がたてばほぼ元通りと言うことだったのでgogo家の家族は一安心。今まで通りの生活が続いていきました。
この時の経験は親の年齢を改めて自覚させられました。それと同時に自分の将来のこともいろいろ考えるようになりました。
親介護を意識する
父のアクシデントによってその時から親介護を意識するようにもなりました。
いつまでも若く元気で何の不安も心配も感じていなかったgogo家の両親。そんな思いは少しづつ変化していきました。
いつまでも親は若いと思っていられないし、もし何かまた起きたら・・・悲観的と言うわけではなく、現実的に前向きに親の老後を考え始めたのもこの頃です。
周りを見れば親戚や実家のご近所さんも年とってきたし、最近まであまり見かけなかったご近所の娘さんも以前より実家に来ることが多くなったとか、親が電話で話すこともありました。
なんというか順番というか、年の順番で目上の人が経験していることは自分も経験することになるんだとわかってきたように思います。
実際に自分も親の見守りから始まって介護をするようになったし、その自分より若い親戚の子の親もそろそろ介助が必要だと聞きました。
周りを見ていると親介護を意識する時期が答え合わせのような感じがします。いつかは通る道なんだと思います。
親介護を意識するきっかけは自分の周りにあるものなのかもしれません。