筒美京平さん
作曲家の筒美京平さんが80歳でお亡くなりになりました。筒美京平さんが作曲された昭和のヒット曲。あれもそうだったこれもそうだったと名曲が数多くあります。
また逢う日まで 真夏の出来事 さらば恋人 魅せられて 17歳 男の子女の子 よろしく哀愁
木綿のハンカチーフ スニーカーぶるーす ギンギラギンにさりげなく 仮面舞踏会 君だけに
ロマンス シンデレラハネムーン セクシャルバイオレットNo.1 なんてたってアイドル
Romanticが止まらない サザエさん(オープニングとエンディング)
思い浮かんだ曲ですが、もっともっとたくさんあると思います。
昭和に彩りを与えてくださった方が亡くなるのは本当に寂しいことです。
筒美京平さんは近年パーキンソン病で療養されていて、10月7日に誤嚥性肺炎のため急逝されたそうです。
平成に入ってもTOKIOのAMBITIOUS JAPAN!など作曲するなど作品リストには2019年までの曲がありました。
カラオケで歌う筒美京平さんの曲もありますし、本当に身近に口ずさんできた曲が多すぎて、今さらながら偉大な作曲家だったのだと感じております。
昭和の時代、学生だったCheersはこれからも必ず筒美京平さんの曲を歌っていくことでしょう。
感謝の気持ちとともにお悔やみ申し上げます。
父の誤嚥性肺炎
食べ物や唾液などが気管に入ってしまうことで起きるのが誤嚥性肺炎です。特に高齢者の場合は口腔内が清潔に保つことが難しく、肺炎の原因となる細菌が繁殖しやすい傾向があるそうです。
gogo家の父も誤嚥性肺炎の経験が2度あります。
1度目は風邪の症状があって発熱もあり、かかりつけ医に診てもらったところ誤嚥性肺炎と言われました。その時は幸いにも軽症でした。入院の必要はないが5日間毎日点滴が必要とのことでした。点滴を受けて日一日と症状は良くなり、5日目にはお酒が飲みたいというようになり、後遺症もなくあっという間に普段の生活に戻れました。
その頃は嚥下の検査もさほど問題もなく、お食事はよく噛んで食べることと念を押された程度で、特別に飲み込みやすいソフト食にする必要はないと言われました。
2度目は前の時より症状が重かったんです。救急外来で病院に行き、診察、検査ですぐ誤嚥性肺炎と診断され、すぐに入院することになりました。入院はだいたい3週間の予定と言われ、父が入院すれば家に母一人になるので、遠距離介護も中断し、父の入院中は在宅介護となりました。
父の容態は意識もあるし、話もできるし、入院するほどなのかと感じていましたが、レントゲン画像を見ると片方の肺に白い部分が広がっていて、軽症ではないということを説明されました。
ちょうど実家に何日が帰省していた間のことだったのですが、特別むせたり咳き込んでいた様子もなく、妙に元気がなく何時もより大人し過ぎる父の様子に気づいたら熱があり、本人も胸が苦しいと・・・その日の朝食はいつも通りで、お昼ぐらいか急に具合が悪くなった感じでした。
もし、このあたりに私の帰省の予定がなかったらどうしたんだろうと怖くなりましたが、たまたま帰省中だたのはラッキーだったのかもしれません。
その後父は予定通り3週間で退院しました。主治医の先生としてはあと2週間ほど脚のリハビリのためにまだ療養は続けてほしかったそうですが、食欲ももどり、体調も戻ったのでリハビリはデイサービスでもできるし、リハビリのできるクリニックに通院もできるので取り合えず先生のOKはいただき、まずは退院することを選択しました。80代は数日寝込んだだけで筋力が衰えるのだということをこの時実感しました。
娘としてはしっかりリハビリしてから退院をしてほしかったのですが、本人の強い希望を優先させた感じです。
この時は飲み込みの検査でご飯は柔らか目にし、お味噌汁などのスープ系や水分系にはトロミ剤でとろみをつけること、お酒にだってとろみをつけるようにと指導を受けました。
2度目の誤嚥性肺炎をきっかけに父は柔らか食ととろみ剤使用が始まりました。